そうなろうと思ってきて、そうなってみて、突然不安に駆られる。そうならないと思っていただけに、不安がさらにいっそう募る。考えの上では、その不安とは今後ずっと隣り合わせであろうことはわかっている。慣れるしかない。当たり前のこととして受け入れるしかない。あるいは超越するのか。偉大なる先人たちに学ぶなら、この不安は甘ったるく、小さいのだとはわかっている。
震える手を動かせよ。いまさら(いまさら!)後退する道はない。その道を断つために時間があったのだろう。退路は断たれた。あるのは前進だけだ。
選択は間違っていない。それもはっきりしているぞ。
繰り返す。手を動かせ。前へ進め。
いつもどおりだ。


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わー、久しぶりに書いたよ。
しんせーん!!
というわけで、独り言日記再開します。

そんでね、はてなのアンテナを久しぶりに見たんですよ。
えーと、あれはもう3年ぐらいろくすっぽ見てなかったんですけど、
そんで、それをみたらもー
みんなありがとー! って思ったよ。
なんかみんな、ちゃんと続いてるんだね。
life goes onだよ。
わかってても、わかってないことってあるでしょー。
そういうかんじだった。

今後の予定。
ちゃんとしたブログをはじめようかなーって思ってます。
あんま個人的じゃない奴です。

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自己肯定ができぬ。
それは美徳か悪癖か。

晴れ

昨日の夕日はきれいだったな。
天国だか地獄だかへの道が開いたんじゃないか。

まず第一に展望がない。
第二にその必要がない。

この状況の場合、何をしてみてもどうしようもない。
方針を立てるには、目的が必要だし
目的には、夢か必要性かどちらかがいる。


それでまあ、大人の判断としてしずかにやり過ごしているふりをしています。
ボクはいつ大人になったんだろう。
なってないよ。

今日は全然違うアプローチでいってみるよ。


ボクは自分の能力が「できる」なんて思ったことはないけれど
あ〜オレってできない奴〜
って思うぐらいには、そのことを気にしてる気持ち悪い奴だ。

自分で何かをオモシロイと思い
それを追いかけていく方法はプロセスなので
一連の儀式がある。
それは生きてきた時間をかけて自分にフィットさせてきたプロセスなので
自分にとってそれが効率がいいと思う方法だ。

自分の中に溜まる何かを醸造
それを洗練させ、形に仕上げていく。
ステップがあって
そのステップで挫折していくものもたくさんある。
興味をもち、興味を失う。

つもりつもって自分が形成されていく。
評価軸を自分にしたら
まあこんなもんだろうと思う。
評価軸を一般論にしたら
変わった人だと思う。
評価軸をイデオロギーにしたら
めんどくさい奴だと思う。
評価軸を経済的成功にしたら
脱落者だ。


興味が続くかどうかだけは
本当に気温とか風雪とかなんか頼りないけど
つながりがあるような事柄のほんのちょっとしたことなのだと思う。
飽きっぽいのも事実で続いたものがない。
きっとアマゾンの奥地で蝶が羽ばたくかどうか
そういうことがらが
ボクの興味に関連してるんだと思う。

ただ興味が続いている間だけは
これでもかってぐらいそのことを考えている。
いまもまたその最初のステップ。

それのことを考えているときは、なかなか楽しい。

最後まで行くかなー。
わからんなー。
いつもわからん。
俺にはわからんことばかりだ。
人よりうまいことなんてない。
ただ興味に殉ずるだけ。

興味を持ち 興味を失う。
ただそれを繰り返すだけ。
興味あることがないとき
それだけはほんとにやばいね。
息する理由がなくなる。



書く言葉よりも、
書かない言葉に意味があるのだと
この文章を書いて気がついた。

なかなかまとめて文章を書くタイミングも取れないのだけれど
かけるときにはすこしだけちゃんと書くようにもどすことにしてみたよ。
メガネです。

今何が起きてるかを率直に、非具体的に書くと、人生の転機とは思わぬときにくるし、それも、マイナス要因からスタートすることが僕の場合には多いということ。だから、それには慣れているのだけれども「やれやれ、またかよ」とニヤついてスルーできるほど簡単でもない。
ここを読んでいる皆さんは知っているかもしれませんが、去年の深海5000mのときにこれがきたらどーなっていたんだろうか?と自分でも思う。たぶん船殻が破れ割けて、当然水圧と冷たさで……まあいいや、比喩は。そんなおもろくないし。
そんでだね、ここの数年ボクはなんどもなんども体験してきた。ああいやー、数年じゃないや。産まれて生きてきて、意識がある間、ずっとかもしれないなー。要するに失う、捨てるそういうことを繰り返してきたのだなあと。
別にボクが捨てるわけじゃない。捨てないようにしても、結果的にそうなる。いやはっきり書こう。ほんのわずかな大事にしているもの。それは心からだよ。それすら、そこには残らない。何度も確認した。間違いない。大して多くない、ほんのちょっと。それだけ守ろうとして、守ろうとするから、さらにずれる。そしていつか失う。これがそのプロセスの全容だ。
やり方が間違っているのだろう。これだけ繰り返してるのだから、それもわかる。でも、何度もつぶやいてきたが、それしか知らないのだ。
断じてこれは学ぶことなどではない。
結果がわかっていようと、僕はステップを変えない。変えられない。
つまり、たぶん、死ぬまで、オレは繰り返すのだろう。
火を見るより明らかな事柄がそこにあるとしても
鉄の意志でもなんでもなく、繰り返す宇宙の法則のように何度も何度も。

決めてるわけじゃないんだよ。
ただ事実がそうなだけだ。

あした違うことを言えたらいいなと思う。